炎症研究振興会30年間の歩み
高橋泰文
日本炎症・再生医学会監事, 炎症研究振興会世話人代表;中外製薬株式会社領域戦略第二部 部長
本学会誌に「日本炎症・再生医学会の発展を期待いたします」という炎症研究振興会からの応援メッセージが毎回折り込まれているが,これは本学会と炎症研究振興会/JFIR(The Japanese Foundation for
Inflammation
Research)との30年間に渡る友好的な歴史と絆の深さを示している.炎症研究振興会は日本における炎症研究を振興し,その進歩発展に寄与することを目的として活動する非営利の任意団体として1980年に正式に発足した.その前身となったのは1972年から14回続いたセミクローズドの「炎症研究会」である.この「炎症研究会」を全国の大学および企業の研究者に広く開かれたものとし,炎症研究をさらに大きく発展させていきたいということで炎症研究振興会が設立され,日本炎症学会が誕生した訳である.本学会は従来の学会の枠組みを超えた学際的な学術活動を産学協同で行なうことを目指しており,炎症研究振興会の最大の公式行事が毎年の学会開催ということになる.設立の趣旨に鑑み,学会長は原則として臨床系,基礎系から交互に選ばれてきたが,歴代の学会長は炎症研究振興会の存在により募金活動に煩らわされることなく「プログラムをいかに魅力的な内容に充実させるか」という学者本来の活動に専念できた訳で,このことは本学会の健全な発展に大きく貢献してきたのではないかと考えている.
当時五十歳前後の塩川優一先生,京極方久先生,鶴藤 丞先生,水島
裕先生らが日本炎症学会/炎症研究振興会の発起人となり,その設立趣旨に賛同する製薬企業48社が会員会社となった.そのうち数社が炎症研究振興会の世話人会社として30年間に渡り学会との折衝や支援活動を続けてきたが,本学会と炎症研究振興会との合意に基づいて平成21年度末をもって炎症研究振興会を終息化させることになった.本学会は「三十而立」ということで今後,炎症研究振興会という母床から巣立ち独り立ちしていくということになる.
1980年にこの学会が発足した頃,欧米には既に炎症学研究を主要テーマとする基礎学会がいくつか存在していたが,日本にはその類の学会は皆無であり,特に将来のリウマチ学の発展のためには異分野の新進気鋭の研究者を集結させ炎症学について活発に語り合う場がどうしても必要であると痛感し,このような学会設立を思い立った,と設立発起人代表の塩川優一先生は随想集「セコイアの並木道」で述べられている.
確かにその当時,国内で使用されている抗炎症剤,抗リウマチ剤はほとんど全てが外国産であり,
欧米で効果が検証されたものを数年遅れで国内に導入し,その効果を追認するという類の試験が大
半であった.従って,学会で最新の話題を提供したいとなると欧米の著名研究者を割高な講演料で
招聘してその話を有難く拝聴するしかないという情けない時代でもあった.発足当初の炎症学会理
事は先の大戦を経験している所謂,旧制高校世代の方が多かっただけに,戦争に敗れ学問分野・医
薬品開発にも欧米陣に大きく水を開けられ,まるで第二の敗戦を味わっているようだ,いつの日に
か優れた国産医薬品を自らの手で堂々と欧米に紹介するような輝かしい時代が来てほしいものだと,
よく話をされていたのを昨日のことのように覚えている.こうした当時の関係者の熱い想いが本学
会の礎を築いた訳である.
1980年に開催した第一回目の学会長は発起人代表である塩川優一先生が務めたが,記念すべき初
回の特別講演者には,学会の門出に相応しく,炎症の最先端の研究者でかつ世界最高レベルの学者に
お願いすべしということになり,当時,ノーベル医学生理学賞の最有力候補と考えられていたスウ
エーデン,カロリンスカ研究所の医学部長B.Samuelsson教授を招聘している.この招聘の折衝には
同じプロスタグランジン分野で活躍されていた早石修,鹿取信の両先生が尽力された.ノーベル賞
ほぼ間違いなしという時の人が来日するということでマスコミにも大きく取り上げられ全国から多
くの炎症研究者が大挙して押し寄せたので1000人以上収容できる日経新聞大ホールは立ち見席が出
るほどの超満員となり,発足直後の日本炎症学会に大きなインパクトを与え本学会は上々のスター
トを切った.
翌々年の1982年,生理活性物質のプロスタグランジンを発見しアセチルサリチル酸の抗炎症作用のメカニズム解明に大きく貢献したということで,3名のプロスタグランジン研究者,B.Samuelsson(スウエーデン),J.Vane(英国),S.Bergstorm(スウエーデン)が予想通りにノーベル医学生理学賞を受賞している.ノーベル賞クラスの高名な研究者を他に先んじて招聘できたことは産声をあげたばかりの日本炎症学会にとっても誇らしいものであり学会員にとって大いに励みになったのではないかと思う.
1980年代,欧米ではIRA (The Inflammation Research Association),EIS (The European Inflammation Society),ICOI (The
International Congress of Inflammation) などいくつかの炎症学会が存在していたが1990年初頭には欧米の主要な炎症関連学会の統合によりIAIS (The International
Association of inflammation Societies) という連合組織体が発足してようやく世界の炎症学会が一本化された.こうした世界の炎症学動向に乗り遅れまいと当時の本学会,鶴藤
丞理事長,鹿取信国際担当理事,水島
裕理事,室田誠逸理事らの尽力により日本炎症学会もIAISのアジア地区代表としてこの組織体に正式に加わることになった.その後IAIS主催の国際炎症学会は世界各地で隔年開催されているが炎症研究振興会は本学会と連携しながら第1回国際炎症学会
(1993,Vienna) 以降,第2回 (1995,Brighton), 第3回 (1997, Tokyo),第4回 (1999, Paris),第5回 (2001, Edinburgh), 第6回 (2003,
Vancouver), 第7回 (2005, Melbourne),第8回 (2007, Copenhagen)
まで,毎回日本炎症再生医学会・炎症研究振興会共催の特別シンポジウムを開催するなどして,歴代の理事長,国際担当理事らが中心となって本学会の存在感を内外に強烈にアピールしてきた.こうした長年に渡る本学会のIAISに対する高いレベルの貢献と実績が実り,今回の第9回国際炎症学会の日本開催に至ったのではないかと考えている.
このような内外の炎症関連学会支援活動の他,炎症研究振興会では,時宜を得た炎症関連トピックスを話題にした「炎症セミナー」を1983年から14年間,本学会と共催で支援してきた.1983年に開催した第一回の「炎症セミナー:プロスタグランジン」には,前年の1982年にB.Samuelssonと一緒にノーベル医学生理学賞を受賞した英国Wellcome研究所長のジョン・ベインを招聘している.製薬企業でノーベル賞を受賞したのは彼が初めてであり,このことに多くの製薬企業研究者は大いに発奮し勇気付けられることになったようで,その後,本学会会員数は飛躍的に増え続け第10回(熊谷勝男会長)学会の頃には約3000名に達している.
その他の炎症研究振興会の活動としては1986年より20年間続けてきた,産官学,三極の懇談会である「炎症フォーラム」がある.これは本邦の炎症学の発展に向け,医薬品業界,アカデミアおよび規制当局が,内外の環境変化に如何に対応していくべきかについてお互いに忌憚のない意見を交換しようという自由討議の場として参加者には毎回大変好評であった.医薬品業界からは研究開発部門関係者,アカデミア分野からは塩川優一,水島
裕,高久史麿,柏崎禎夫,市川陽一,富岡玖夫,北村 諭,浅野茂隆,近藤啓文,吉川敏一,宮坂信之,西岡久寿樹,川合真一,上田
実,坪田一男らの各先生に本学会理事の立場で討議に参加頂いた.当局からは厚労省の経済課,新医薬品課,安全課,審査管理課,研究開発振興課,医薬品機構,文部科学省産業連携課の関係者の方々,そのほか新聞各社の科学ジャーナリストや米国製薬協代表,米国FDA長官なども招聘して国境を越えた活発な討議を重ね相互交流を深めた.
2001年より日本炎症学会は炎症研究と再生医療研究の融合を目指し日本炎症・再生医学会と改組再編され現在に至っているが,これは当時の学会理事長であり参議院議員(初代文部科学省大臣政務官)を兼務していた水島
裕先生の影響が大きい.医系議員としても活躍していた水島先生は2000年にミレニアムプロジェクトに再生医学が採択されたことを受けて,再生医療の魁けとなる研究を取り込んで20年目を迎えた日本炎症学会を再活性化しようという構想が根底にあったように思う.しかし,
炎症学会が再生医療をも扱うという学会の突然の方針変更に対しては炎症研究振興会でも「設立の趣旨に反する,既に十分な役割を果たしてきた,この機会に学会には独り立ちを促し,振興会は解散すべし」という意見も少なくなかった.仙台(第20回
田上八朗会長)で開催された学会理事会でも炎症学会に再生医療を取り込むという急進的な提言には「木に竹を接ぐような話だ」ということで反対意見も多く紛糾したが,最終的には提言者である水島
裕理事長の熱意が勝り,2001年より,再生医療を扱う本邦初の学会(第21回 坂根
剛会長)となり生まれ変わった.炎症学と再生医療が融合してから今年度で10年目を迎えることになるが,現状では翌年の2002年に始まった日本再生医療学会のほうが再生医療関係の参加者数は圧倒的に多い状況であり,再考すべき時期に来ているのかもしれない.
第30回日本炎症・再生医学会(山本一彦会長)と合同開催となった第9回国際炎症学会の詳細については先号の松島綱治会長の巻頭言で紹介されているように日本の炎症・再生医学研究の実力,底力を内外に存分に示し大成功裏に終わったが,この大きな成果を糧に本邦の炎症学・再生医学がさらに大きく飛躍・発展していくことを炎症研究振興会世話人および会員会社一同,心より祈念いたしております.
長年に渡って炎症研究振興会の世話人会社として学会と密接に連携し,本学会の開催,運営,将来構想問題等に協力してきたのは武田薬品,中外製薬,第一三共,万有製薬,塩野義製薬,大正製薬,ノバルテス,の各社である.各社の世話人関係者にはこの紙面をお借りして長い間のご支援・ご協力に対して心より深く御礼申し上げます.
【補足資料】
炎症研究振興会がこれまでに関わった国内外の主な学術支援活動は以下のとおりである.
◇国内活動 |
1980-2000年: |
日本炎症学会(東京の他,京都,岐阜,仙台にて開催) |
2001-2010年: |
日本炎症・再生医学会(東京,京都にて開催) |
1983-1996年: |
炎症セミナー開催(東京にて開催) |
1986-2004年: |
炎症フォーラム(箱根,伊豆にて開催) |
1997年:第3回国際炎症学会(東京,水島 裕会長) |
2009年:第9回国際炎症学会(東京,松島綱治会長) |
◇海外活動 |
1993年: |
第1回国際炎症学会共催 (Vienna) |
1995年: |
第2回国際炎症学会共催 (Brighton) |
1997年: |
第3回国際炎症学会(Tokyo) |
1999年: |
第4回国際炎症学会共催 (Paris) |
2001年: |
第5回国際炎症学会共催 (Edinburgh) |
2003年: |
第6回国際炎症学会共催 (Vancouver) |
2005年: |
第7回国際炎症学会共催 (Melbourne) |
2007年: |
第8回国際炎症学会共催 (Copenhagen) |
2009年: |
第9回国際炎症学会 (Tokyo) |
第1回日本炎症学会 |
昭和55年度 |
塩川優一 |
第2回日本炎症学会 |
昭和56年度 |
鶴藤 丞 |
第3回日本炎症学会 |
昭和57年度 |
水島 裕 |
第4回日本炎症学会 |
昭和58年度 |
藤村 一 |
第5回日本炎症学会 |
昭和59年度 |
高久史麿 |
第6回日本炎症学会 |
昭和60年度 |
京極方久 |
第7回日本炎症学会 |
昭和61年度 |
松本慶蔵 |
第8回日本炎症学会 |
昭和62年度 |
鹿取 信 |
第9回日本炎症学会 |
昭和63年度 |
永井 裕 |
第10回日本炎症学会 |
平成元年度 |
熊谷勝男 |
第11回日本炎症学会 |
平成2年度 |
神原 武 |
第12回日本炎症学会 |
平成3年度 |
延永 正 |
第13回日本炎症学会 |
平成4年度 |
近藤元治 |
第14回日本炎症学会 |
平成5年度 |
江田昭英 |
第15回日本炎症学会 |
平成6年度 |
柏崎禎夫 |
第16回日本炎症学会 |
平成7年度 |
細田泰弘 |
第17回日本炎症学会 |
平成8年度 |
北村 諭 |
第18回日本炎症学会 |
平成9年度 |
市川陽一 |
第19回日本炎症学会 |
平成10年度 |
室田誠逸 |
第20回日本炎症学会 |
平成11年度 |
田上八朗 |
第21回日本炎症学会 |
平成12年度 |
坂根 剛 |
第22回日本炎症・再生医学会 |
平成13年度 |
室田誠逸 |
第23回日本炎症・再生医学会 |
平成14年度 |
浅野茂隆 |
第24回日本炎症・再生医学会 |
平成15年度 |
中畑龍俊 |
第25回日本炎症・再生医学会 |
平成16年度 |
宮坂信之 |
第26回日本炎症・再生医学会 |
平成17年度 |
岡野光夫 |
第27回日本炎症・再生医学会 |
平成18年度 |
川合眞一 |
第28回日本炎症・再生医学会 |
平成19年度 |
岡野栄之 |
第29回日本炎症・再生医学会 |
平成20年度 |
西岡久寿樹 |
第30回日本炎症・再生医学会 |
平成21年度 |
山本一彦 |
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日本炎症・再生医学会(旧日本炎症学会)創立以来30年間、本学会に大きく貢献された
炎症研究振興会へ御礼を申し上げます。
日本炎症・再生医学会 会員一同
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